ローリー⽇本語補習学校、40周年おめでとうございます。私が卒業した平成23年から⻑い年⽉が経ちましたが、それ以上に遠い昔から補習校の歴史があると思うと驚愕です。現在、私は某企業で社内通訳翻訳者として勤めています。⽇本語と英語を⾏き来する職務上、⽇本語補習校での学業はどれも間違いなく活かせていますが、⼀番役に⽴っているのは作⽂とプレゼンを通して感じた「表現することの難しさ」です。 「⽇常的に喋ったり読んだりするので、⽇本語は廃ることはない」と思われるかもしれません。しかしそれは最低限の会話や仕事をしたりする上でのレベルであり、表現⼒は必ず意識して養わなければなりません。社会や様々な交流の場にいる幾多の⼈に対し、どうやって⾃分の意思を伝えるか。⼈や場に応じた⾔い⽅、書き⽅、振る舞い⽅。ローリー⽇本語補習校は、その術と重要性を知るきっかけを作ってくれました。 個性溢れるクラスメートの作⽂の中には感動的な体験談を語る傑作もあれば、「何故それを書こうと思ったのか」と⾸を捻らせる迷作もあり、どれも語る⼝は違えど「⾃分が伝えたい意思」の表れがありました。美しい⽂から歪な⽂まで読んだ私は「⾃分を表現することは多種多様で、なんて難しいのだろう」とハッキリと感じた覚えがあります。 スピーチコンテストを含むプレゼンも同様或いはそれ以上に難易度は⾼く、「⾃分の考えを汲み取って欲しい…」と⽢えることが出来ない恐ろしさは中々に強烈な印象を残してくれました。 補習校を卒業して作⽂もスピーチからも解放された…ということはなく、⼤学でも社会でも⽂は書き、⼈前で喋らざるを得ません。内向的な私はその度に⼤いに焦り、窮地に⽴たされていました。 それからというもの、私は場数を踏み、失敗と反省を繰り返すという在り来りに聞こえる努⼒はしてきたつもりです。しかし現在に活きているのは間違いなく、補習校での作⽂とプレゼンから学んだ「表現することの難しさ」です。 正直、私は今でも不⾃由なく表現できるほどの語彙⼒や話術を持ち合わせてるとは思いませんが、何とか英⽇の社内通訳として社会に貢献させて頂いております。それは⾃分⾃⾝の意志はともかく、通訳させて頂いている⽅がどれほど頑張って⾃分を表現しようとしているか、その難しさが分かるからかもしれません。鶴⾝修平2011年度卒業⽣
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